ネイチャーポジティブの視点から見るカーボンニュートラル

  • 2023年11月
  • ベイカレント・インスティテュート所属 佐川 豪一

ネイチャーポジティブの視点から見るカーボンニュートラル

  • 2023年11月
  • ベイカレント・インスティテュート所属
    佐川 豪一

カーボンニュートラルとネイチャーポジティブは両立できるのか

 「当社は、カーボンニュートラル実現を目指し、再生可能エネルギーですべての電力を賄っています。」

 

 近年、カーボンニュートラル宣言をする企業が増えている。ただし、気候変動だけに焦点を当てるのは危険が伴う。その対策方法によっては、気候変動への取組みが生物多様性に悪影響を及ぼす可能性があるのだ。例えば、太陽光パネルの設置のために森林伐採が行われていることもある。

 

 カーボンニュートラルの追求に次いで、生物多様性の損失を止め、回復軌道に乗せるネイチャーポジティブが重要になる。カーボンニュートラルとネイチャーポジティブは両立することができるのか。その両立のヒントを探る。

 

植林による生態系の破壊、水資源の枯渇

 カーボンニュートラル達成に向けて、費用対効果の高い植林は良く活用される手段である。植林は、一見するとカーボンニュートラルとネイチャーポジティブを両立できる施策に思えるが、生態系を破壊してしまう植林も実は多い。植林に活用される樹木には、生育が良く、定着しやすい外来樹が使われることがある。外来樹には、侵略性の強い種もあり、往々にして想定した植林地域の外に逸出して定着する。外来樹が侵出すると、下層植物種数の減少や種組成の変化がみられ、在来種によっては生息域を奪われてしまう。更に、樹木によっては土壌の水分量を在来種よりも減少させ、山火事頻度を増加させる。

 

 生態系への影響だけではなく、水資源への影響も大きい。森林は山地の保水機能を有しており、地下水や河川の水量と密接に関係している。乾燥地や半乾燥地帯での緑化計画では、しばしばユーカリなどの樹木が植林されるが、これらの樹木が成長するためには多くの水が必要となる。樹木が水を吸収すると、地下水や河川の水量が減少し、これまで水を利用していた人々や生物の水資源が枯渇する。実際、中国の黄土地帯などでこのような事例が見られ、水資源の競合が起きている。

 

 このように植林による生態系や水資源に対する負の影響が見られるケースが発生している。これらはカーボンニュートラルのみを追求してしまった施策の悪例ともいえる。

 

水素の製造には、10倍の水が必要

 カーボンニュートラルの達成に向けて、水素にも新燃料として期待が集まっている。特に、水を再エネ由来の電力で電気分解して生成する、グリーン水素が最も注目を集めている。グリーン水素は、電力を大量に活用するため、再エネ由来の電力が安い中東やオーストラリアを製造予定地として計画されることが多い。それらの国は乾燥した気候であり、水素製造に水を活用すると、水不足を引き起こすのではないかと懸念される。

 

 こちらも植林同様に、カーボンニュートラルへの意識偏重が招きうる事態であろう。

 

 例として、中東のオマーンの事例で、実際の影響を数値化する。オマーンは、「Renewable Hydrogen from Oman」というレポートで、2030年までに100万トン/年、2050年までに850万トン/年のグリーン水素の生産を目標に掲げている。同レポートの中で、水素1tに対して10倍の水が必要とされ、2030年には、年間で約1,000万トンの水が、2050年には約8,500万トンの水を要すると記載されている。一方、オマーンの水資源は乏しく、UNESCOの指針では、一人当たりの利用可能な国内淡水資源量が、1,700tを下回るとその地域が水ストレス下にあるとされる中で、オマーンの一人当たりの利用可能な国内淡水資源量は500tしかない。実際の2020年の水の生産量は4.73億トン(オマーン国立情報統計センターより)であり、仮に水素製造を目標通りに行った場合、2030年には、水の生産量の約2.1%を水素製造に使用し、2050年には約18%もの水を水素製造に使用する計算となる。当然、水不足が懸念される。オマーン政府は、沿岸域では海水淡水化の活用を検討しているものの、海水淡水化にはコストがかかり、更に塩分濃度が極めて高く、環境に悪影響を与える副産物「ブライン」が発生するため、その処理も課題となろう。

 

カーボンニュートラルとネイチャーポジティブの両立に向けて何をすべきか

 ネイチャーポジティブへの意識の欠如が、カーボンニュートラルに偏った施策を生み出し、カーボンニュートラルとネイチャーポジティブの両立を妨げる。ネイチャーポジティブの意識醸成により、両者のバランスを保つことが求められる。そのために、ネイチャーポジティブの意識醸成が必要だが、企業は何をすべきか。やるべきことは、カーボンニュートラルと同様だ。

 

 カーボンニュートラルでは、「CO2排出量の少ないビジネスモデルへの転換」を目指し、「CO2排出量削減のための制度設計」や「社員のカーボンニュートラルの意識向上」により達成を目指す。

 

 ネイチャーポジティブは、自然資本への依存度/影響度を減らすことがキーテーマとなるため、「自然資本に依存しないビジネスモデルへの転換」を目指すべく、「自然依存を低減する制度設計」や「社員のネイチャーポジティブへの意識向上」を行うことが達成に必要だ。

 

自然資本に依存しないビジネスモデルへの転換

 ビジネスモデルの転換に向けて、そもそも事業と自然との接点を発見する必要がある。その上で、ネイチャーポジティブなビジネスモデルを考案する。

 

 自然との接点を発見するためには、LEAPアプローチを推奨する。LEAPアプローチは、自然に関するリスク・機会を体系的に評価する手法で、生物多様性・自然に関する開示の枠組みを整備するTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)が提唱している手法である。LEAPアプローチにより、自社がどのような自然に対して、どのような規模・程度で依存しているか、評価できる。

 

 ビジネスモデルの転換手法は大きく4つある。1つ目が、自然に依存しないビジネスモデルへの転換、2つ目が、自然への依存度をなるべく低減するビジネスモデルへの転換、3つ目が、自然と共に栄えるビジネスモデルへの転換、4つ目が、自然に与えた悪影響と同量以上の自然を再生/保護する取組である。例として、1つ目は、サーキュラーエコノミー、2つ目は、水不足地域の工場に設置される水再生処理システム、3つ目は間伐林の活用、4つ目は、建物や工場の屋上・周囲の緑化事業が挙げられる。

 

自然依存を低減する制度設計

 自然への依存度を減らす制度として、自然依存度の減少を評価する仕組みが考えられる。

 

 例えば、カーボンニュートラルでは、CO2削減量を評価する仕組みが存在する。JFEホールディングスやセブン&アイホールディングス等はCO2削減量を役員報酬に反映する評価制度を導入している。また、花王やアステラス製薬等では、インターナルカーボンプライシングを導入し、CO2削減量を投資判断に活用している。

 

 カーボンニュートラルは、CO2排出量に換算することで定量的に評価しやすく、制度として織り込みやすいものの、ネイチャーポジティブは、定量評価が難しい。定量化の手法の1つに、自然への影響を金額換算できるLIME3を用いた環境評価が存在する。LIMEは原材料の物量データから、事業活動で消費する資源や排出物質の量を計算し、それが「人間の健康」や「社会資産」、「生物多様性」、「植物」などの「一次生産」に及ぼす影響を金額に換算して評価することができる。定量評価ができれば、自然への依存度の減少量を役員報酬に反映したり、投資基準に活用したりすることができるであろう。

 

社員の意識改革

 制度に加えて、社員による積極的な活動を促進するための意識改革も重要である。そのために、社員を巻き込んだネイチャーポジティブの取組の実施や、研修機会の提供が重要となる。また、可能であれば、現地視察も社員に気づきを与える上で、有効な手段としてお勧めしたい。

 

 カーボンニュートラルの好事例として、東京海上グループのマングローブの植林が挙げられる。社員を募り、実際に社員が東南アジアまで行って、マングローブを植林する。植林後は、数か月ごとの経過を写真にしてHPにアップロードする。そうすることで、社員に本気度合を伝えつつ、肌で体感する社員を増やすことができるのだ。

 

カーボンニュートラルとネイチャーポジティブの両立に向けて

 希少種を含む従来の生態系は、一度破壊されてしまうと、元通りに回復することが難しい。場合によっては、回復することが不可能なこともある。つまり、カーボンニュートラルで手一杯であり、ネイチャーポジティブまでは手を出せないと後回しにしてしまうと、取り返しのつかない状況になってしまう可能性がある。カーボンニュートラルとネイチャーポジティブの両立は、なるべく早期に目指すべき目標なのだ。

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