AR×スマートグラス時代の夜明け前に

  • 2023年8月
  • シニアコンサルタント 藪波 宏樹

AR×スマートグラス時代の夜明け前に

  • 2023年8月
  • シニアコンサルタント
    藪波 宏樹

逆襲のAR 

 

 近年、メタバースやVRが徐々に広まっている一方で、AR(拡張現実)は比較的影が薄い印象を受ける。Gartner社が毎年発表しているハイプ・サイクルでは、ARは2018年に幻滅期の底とされ、2019年以降は啓発期に位置づけられることなく姿を消している。 

 

 だが、ARはスマートグラスと手を取ることで、爆発的な普及を促し、生活者の行動様式を根底から変化させ、産業構造までも一変させる可能性を秘めている。あまり知られていないことかもしれないが、市場規模でみればARはVRよりも大きな潜在能力を秘めている。Grand View Research による試算では、VRの市場規模が2030年に870億ドルであるのに対し、ARは同年に5,975億ドルと、7倍弱もの差がある。自社がAR×スマートグラスによって変化する市場にどのように関わるか、早期に検討を開始すべきである。 

 

 本稿では、なぜ当該技術が非常な速さで市場に浸透し、生活者に変化をもたらすのかの根拠を明らかにし、変化がもたらされる領域として「コミュニケーション」「広告」「決済」の例を挙げ、今後の展望を事業領域別に概観する。 

 

圧倒的な「受動性」による爆発的な普及 

 AR×スマートグラスは、ポストスマホという文脈で語られることが多い。しかし、現代のスマホの完成度の高さを鑑みると、スマートグラスがスマホを置き換える日が来るのは怪しいと思うかもしれない。だが、スマートグラスは将来、間違いなく市場に広く受け入れられる。なぜならば、スマートグラスの本質は、かけっぱなしであることによる圧倒的な「受動性」にあるからだ。 

 

 「受動的でありたい」という欲求は、フロイトからカーネマンまで、各時代の心理学者たちが様々な概念で論じてきた通り、人間の根源的欲求である。 

 近現代の技術革新を中心とした人類の歩みは、「受動的でありたい」という人間の根源的な欲求を技術が叶えてきた歴史とも言い換えられる。デバイス駆動時間の伸びと動画メディアの興隆によるつけっぱなしや、ワイヤレスイヤホンによる聞きっぱなし、アルゴリズムの進化によるおすすめの高精度化により、我々は見たい・聞きたいと思うものをそれほど能動的に求めなくても享受できるようになった。スマートグラスは、「視覚を常時支配する」という意味でその1つの到達点である。 

 

 また、スマートグラス上の中心的な表現技法であるARは、これまで、VRに比べると開発プラットフォームが未熟であり、AR×スマートグラス時代の実現のボトルネックの1つとなっていた。しかしここ数年、AppleのARKitやAlphabetのARCore、MicrosoftのMeshといったビッグテック各社が提供するサービスがその役割を果たすようになり、市場が立ち上がりつつある。まさに、AR×スマートグラス時代の夜明け前である。 

 

変わる世界 

 AR×スマートグラスは、スマホがそうしてきたように、生活者の行動様式、ひいては産業構造を大きく変えることが予想される。先に見た「受動性」に起因し、生活者の行動は大きく変化する。これに加え、当該技術の「デバイスが常に外界の情報を取得し演算処理を走らせる」という特徴によっても変化が生じる。 

 

 まず、圧倒的な「受動性」は、コミュニケーションや情報取得のシーンを大きく変える。コミュニケーションは、3D表示によるリアルさ、かけっぱなしであることによる気軽さがそれぞれ大幅に上昇する。まるでその場にいるようなリアルなコミュニケーションを、電話をかけるよりずっと簡単に、長時間行うようになる。グラスによって空いた両手は、入力デバイスによって再び埋められることを拒み、入力方式としては音声入力や指先トラッキング等、スマホとは全く異なる方式が採られる。入力方式は人々の行動様式やファッションにも影響を与えうる。 

 

 例えば、音声入力が主力になった世界は、街行く人々のほとんどが絶えず何かをつぶやいている世界である。周囲の雑音を消すためイヤホンの常時接続が必須になったり、口元を覆いたいというニーズが、感染症とは全く違う理由で生まれたりするかもしれない。 

また、視覚からの情報取得のほとんどがグラス経由になることで、広告業は大きな影響を受ける。物理世界における旧来型の広告は存在意義を失い、街並みはグラスに映る3Dコンテンツの背景としての役割を求められる。グラスを経由せずに人々の欲望を喚起しようとすれば、視覚以外の感覚に訴えかける必要が出てくるだろう。 

 

 次に、デバイスが常に外界の情報を取得し、演算処理を走らせるという特徴は、決済領域に変化をもたらしうる。新型コロナウイルスの流行により広まったタッチレス決済は、スマートグラス時代になればかざすことすら面倒くさいとなるだろう。その場合、スマートグラスで読み取る決済方法が主流になるだろう。 

 上記の他、様々な発想を膨らませることで、淘汰されるサービス・新たに生み出されるサービス双方において枚挙に暇がない。 

 

今後の展望 

 AR×スマートグラスの事業領域は大きく、①コンテンツ②プラットフォーム③デバイス④インフラ、の4層に分けられる。これらすべての領域において端緒が開かれたばかりであり参入の余地は大きい。 

 

1.コンテンツ 

 現在は、エンタメ領域をはじめとする、いわゆるハレのユースケース創出が先行している。しかし、「受動性」というスマートグラスの特徴を鑑みると日常づかい、すなわちのユースケース創出こそ目指されるべきである。特にコミュニケーションの領域では、1社が市場を独占する可能性が高く、早期検討が必要である。 

 

2.プラットフォーム 

 スマホ同様、AppleやAlphabetの存在感が大きいが、Alphabetについてはやや消極的であり、今後の展開次第ではチャンスがある。 

 

3.デバイス 

 消費者向けでは、先日ついにAppleが「Vision Pro」で市場参入を果たし、その投資規模やブランド力を鑑みると参入ハードルは高いと思われる。しかし、法人向けではまだデバイスの正解がない状態でありチャンスがある。適切に市場を設定し、ニーズに応えられればニッチ市場独占のチャンスがある。 

 

4.インフラ(通信) 

 3Dコンテンツの普及や、膨大な演算処理量による端末の消費電力増が、通信に対する高速・大容量、および消費電力の低減ニーズを一層高める。5Gや6Gといった次世代通信技術が重要な役割を果たすことは間違いない。 

 

 ただ、参入の余地が大きいとは言っても、行く末はすべて未知の中である。あるところは早期に市場が立ち上がり、あるところは10年経っても芽が出ない、あるところは当該技術がほとんどリプレースするが、あるところは限定的な使用にとどまる、ということが当然起こる。確かであるのは、受動性への根源的な欲求という巨大で強力なニーズが一筋、不確実性の深い森を貫いているということだけである。 

 

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