連載:製薬・医療業界から見るヘルスケア事業の未来

Vol.1ヘルスケア新規事業を成功させるユーザー起点の発想とマネタイズの論点

  • 2022年9月
  • パートナー 山口 星志

連載:製薬・医療業界から見るヘルスケア事業の未来

Vol.1ヘルスケア新規事業を成功させるユーザー起点の発想とマネタイズの論点

  • 2022年9月
  • パートナー
    山口 星志

勃興するも簡単ではないヘルスケア新規事業

 大企業が新規事業を検討する際に、よくテーマとしてあがるヘルスケア領域であるが、実はまだ日本での目立った成功事例は少ない。例えば、歩数や睡眠情報などのバイタルデータを取得し、健康増進につなげるようなサービスは、コンセプトがわかりやすいことから多くの企業が参入している。しかし、国や自治体からの助成金に頼っているケースが多く、ビジネスとしてマネタイズできているヘルスケアサービスは非常に少ないのが現状なのだ。

 急速に社会の高齢化が進んでいる日本では、団塊の世代が後期高齢者に達する2025年以降、医療・介護等の社会保障費用が大幅に増加していくと言われている。その額は2040年度に90兆円にまで達すると予想されているのだが、これは2018年度と比べて約2倍になる計算である。このような状況だからこそ、予防・未病を推進するヘルスケア産業の市場拡大は、日本国家としての喫緊課題といえるだろう。経済産業省が旗振りし、ヘルスケア産業の各種施策を打ち出してはいるものの、未だ際立ったビジネスモデルが登場していない状況にある。

 


内閣官房・内閣府・財務省・厚生労働省「2040年を見据えた社会保障の将来見通し(議論の素材)」(計画ベース、経済ベースラインケース)(2018年5月)をBC社にて編集

 

健康を維持するための運動だけではユーザーは動かない

 当たり前だが、誰しもが「健康になりたい」、「健康な状態を維持したい」と思うものだ。しかし、社会から必要とされているはずの健康維持・増進を後押しするサービスは、なぜ上手くいかないのであろうか。その課題として、ユーザー起点の発想が足りない点と、事業継続に向けたマネタイズが難しい点があると考えられる。

 ウォーキングを中心とした健康増進アプリを例に取って考えてみたい。ユーザー自身のウェラブル端末やスマホで取得したデータと連携することにより、ユーザーの活動は簡単に記録できる。運動するほどアプリ内のポイントやスタンプが自動的に貯まっていくとなると、最初のうちはモチベーション高く取り組めるかもしれない。だが、次第にモチベーションは下がっていき、運動し続けることへの面倒さの方が勝ってしまう可能性が高い。これではアプリを使い続けてもらうことは難しくなってしまう。

 運動すること自体を習慣化する必要がある健康増進活動は、これまで運動してこなかった人がいきなり始めるにはハードルが高い。逆に、初めから健康増進に強いモチベーションを持っている人は、おそらく以前から運動することを習慣化できているため、アプリを使う必要性は高くないといえる。 つまり健康増進アプリは基本、自分一人では運動することを習慣化できない人がターゲットユーザーとなるため、そのモチベーションを保ち続けるための工夫が重要ということになる。ユーザーが労力やコストをかけてまで運動等を行った結果、「健康以上の価値」として、「お得」「便利」「楽しい」といったインセンティブが訴求されることが必要なのだ。これをターゲットユーザーに刺さるよう、ユーザー起点で発想していかなければならない。

 

出典:経済産業省 「ヘルスケアサービス参入事例と事業化へのポイント」より

 しかし企業側としては、インセンティブを訴求しようにも、そのための「原資」が調達できなければ実現は難しい。ユーザーが健康増進アプリを利用することで健康になったとしても、その結果が企業の利益に直結するわけではないので、十分なインセンティブを付与する設計が難しいのである。

 

信頼性を保証するデータを集め、サービスの可能性を広げる

 ヘルスケア関連の新サービスを成功させるために、考えるべき論点は「サービス単体で稼ぐモデルをつくれるかどうか」である。もし、十分に稼げている本丸事業(キャッシュカウとなる事業)があり、そのうえでユーザー獲得、もしくは本丸事業の利用維持を目的に新サービスを展開するのであれば、ユーザー数や顧客満足度等のKPIと予算を管理すれば良い。

 一方、新サービス単体で稼ぐ必要がある場合は、ユーザーにインセンティブを訴求するための「原資」を生み出さねばならない。「原資」を生み出すには、ユーザーに課金するか、ユーザーが利用したデータを利活用する第三者から対価をもらうしかない。このうち前者は、ユーザーへのインセンティブ訴求の効果が薄れる可能性があるため、まずは後者から検討したいところだ。そのためには、第三者にとっての価値を創出する必要があるため、データの品質・価値に注目し、データをもとにマネタイズにつなげる可能性を十分に検討することが重要となる。

 例えば、ウェアラブルデバイスから取得したバイタルデータを使って、医師の診断や経過観察、また新薬開発などに活用することができれば、そのサービスを利用する医療機関や製薬企業から対価としての「原資」を得ることができるかもしれない。このようにデータから原資を生み出そうと考える新規事業は多いのだが、実際はそう簡単に上手くいきそうにない。製薬・医療業界では、データの信頼性・客観性が最重要事項であり、そのデータを生成するためのプロトコルが重要視されるからだ。例えば経済産業省が行った調査では、バイタルデータを診断時に使いたい医師は約9割いるにも関わらず、一番の懸念は「データの信頼性を高めるための実例・エビデンス構築」だったという。

 

令和2年度補正遠隔健康相談事業体制強化事業(医療・ヘルスケアにおけるデジタル活用等に関する現状及び調査事業)調査報告書 令和3年3月をBC社にて編集

 つまり製薬・医療業界でバイタルデータの活用を検討する場合、データを取得する機器自体を医療機器承認等の高精度なものにするだけでなく、「データの取得方法等がどのように保証されたものか」についても検討を重ねる必要があるというわけだ。そのためには、カルテや健康診断、健康保険情報等の計測・入力方法が既に保証されているデータソースを組み合わせることも検討すべき事項なのである。

 もちろん、ハードルが高く手間が多い製薬・医療業界を対象にせず、他業界でマネタイズする方法も考えられるだろう。しかし、健康であることを保証し、必要に応じて治療するのは製薬・医療業界であるため、ヘルスケア事業を行ううえでは切っても切り離せない業界といえる。ヘルスケアデータを一次情報として利用したいと考えている製薬・医療業界と連携し、データ取得・保証方法を丁寧に設計することで確実に「原資」を手に入れるチャンスが広がる。そして、ユーザーに訴求するインセンティブを設計することで、当該サービスの可能性を飛躍させることができるだろう。データの品質・価値は、ヘルスケア事業継続に向けたマネタイズを成功させる鍵となるのだ。

 

地方創生・まちづくりに絡めた健康戦略に脈あり

 もう一つ、ヘルスケア関連の新規事業が世の中に浸透していかない根本的な要因として、日本における国民皆保険の制度・構造上の問題も考えられる。国民皆保険とは、全国民で負担を平準化することで経済的な負担を意識することなく、誰もが平等に医療サービスを受けられるという、日本国民の健康水準を大きく向上させてきた仕組みである。

 この充実した医療サービスがあるが故に、未病に対する健康増進サービスは人々に受け入れられにくくなっている。病院・診療所を訪問し、先生の診察を受けることが安心につながり、医療用医薬品の入手は、市販薬を購入するよりも「安価」で済むという経済的メリットもある。自身で苦労して運動し、医療費よりも高額な料金を払ってまで健康を維持するのは、便利な医療サービスが与えられている人々にとってインセンティブが働きにくい行動なのである。

 ただ前述したとおり、超高齢化社会を迎えた日本における医療・介護等の社会保障費用の負担削減は喫緊の課題であり、国民の健康維持を推進し、医療費を削減していかないと財政上成り立たなくなる。このような日本全体の課題を解決するためには、一部の企業・グループが取り組むだけでは難しい。社会保障や国民皆保険制度に関する議論も発生するため、行政との協力は前提かつ不可欠となる。

 一方、中央行政が舵を取り、ビッグバン的に制度を変更するとなると、その影響は計り知れないだけでなく、利害関係者も多くなることから議論が進まないことが想定される。

 ではどうすれば良いか?

 一つの解決方法として、地方自治体という限られた範囲で取り組み、地域住民の合意を得ながら実験を進めていく進め方が考えられる。具体的には、スマートシティやまちづくりの取り組みの一貫として、住民の健康増進によって財政の負担軽減を目指す社会実装を行い、病気の予防・健康増進の取り組みを成功させるのである。一部の生命保険では、健康増進型と言われる保険商品がインセンティブを上手く設計することで、保険加入者の行動変容に寄与している。類似の仕組みは、公的な社会保険である健康保険でも成り立ち得るのではないだろうか。

 なお検討する際には、遺伝的な理由や不可抗力で病気になる方もいるため、健康であることにどのようなインセンティブを設定していくかは、公平性を考慮した慎重な設計が必要となる。

 なかなか上手くいかないヘルスケア新事業において、ユーザー起点の発想マネタイズのポイントの丁寧な設計は大前提となる。ユーザーが健康増進を積極的に利用することを阻害している要因は、病院・診療所への気軽なアクセス、および安価な医薬品の入手であり、ある意味で国民皆保険の負の側面になっている。これを解決する一つの方法は、限られた範囲で推進できる地方自治体等と連携し、地域住民の健康増進の機運を盛り立てていくような取り組みではないだろうか。

 つまりヘルスケア新規事業を飛躍させる最後の壁は、健康であり続けることで得をする環境をいかに創り上げることができるかということである。

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